生物学的発達において中心となるのは、「相互作用」という概念である。ウォディントンは、正統的な新ダーウィン主義が因果関係を単純な直線モデルに還元していることを批判する。彼の主張によれば、そのような考え方では、有機体と環境のあいだにある複雑で動的な相互調整の過程を適切に捉えることができない。
たとえば、有機体が外的な偶然によって、あるいは自律的な調整能力によって、自らを環境Xにおいて発見したとする。そのとき、当該有機体の表現型の発達は、環境Xに適応するよう大きく変化する可能性がある。というのも、遺伝子型は一定の限度内で異なる表現型を生み出す柔軟性を備えており、これらの表現型は、環境の特異な条件に対して能動的に補償する能力を持つからである。
こうした表現型的構造は、単に外部環境への受動的な反応にとどまらない。それらはむしろ、環境そのものを発達的に意味ある方向へと変えていく能動的要素ともなる。
発生学における一例:細胞分化の動的プロセス
この観点を具体的に示すために、発生学の事例を紹介しよう。初期の胚細胞は、筋肉細胞にも神経細胞にも分化しうる潜在性を備えている。しかし、その細胞が胚全体のどの空間的位置にあるか、または生化学的環境にどうさらされているかによって、その将来の運命は決まる。一度筋肉組織や神経組織へと分化が始まると、これらの細胞は他の細胞に対して形態形成的な環境要因として作用し、さらなる発達に影響を及ぼす。そして、最終的には筋肉器官や神経器官、あるいはそれに隣接する腱や脊椎のような構造へと組織化される。
このようにして、表現型は単なる遺伝子型の「表面化」ではない。それどころか、自己調整的な発達プロセスの産物として複数の階層をもち、有機体の本質的構成要素として位置づけられるべきなのである。
表現型が存在するからこそ、環境のかく乱や突然変異といったランダムな変動も、有機体の内部で意味ある形に統合される。したがって、有機体と環境は切り離された存在ではなく、統一された単一のシステムを構成する。これは生態学的生物学において、種のレベルで強調されてきた見解でもある。
後成的風景という比喩
こうした発達の可能性とその制約を視覚的に表現するために、ウォディントンは「後成的風景(epigenetic landscape)」という比喩を用いた。風景の中を転がるボールは、発達中の有機体を象徴しており、遺伝的に規定された丘と谷の地形に従って進路を決定する。このボールは細胞、器官、個体、種といったさまざまなレベルに適用可能である。
谷は「クレオド(必然的な発達経路)」を表し、ボールはそこを転がることで特定の性質を獲得する。谷の深さは、別の道への切り替えの困難さを示し、それが進むにつれ分化の柔軟性が失われていく様子が表現されている。はじめのうちはわずかな外的「押し」で方向が変わることもあるが、分化が進むと、切り替えはますます難しくなる。
隣接する谷を分ける「尾根」は、発達の転機となる臨界期(crisis period)を象徴しており、急激な変化の可能性がある局面を示している。ボールを丘の側面に押し上げてみても、やがてボールは自然に元の谷へ戻る。これは、一時的な混乱があっても、元の発達軌道を維持しようとする「修復力」が働くことを示している。
この際に重要なのは、有機体が保存するのは「状態」ではなく「発達の軌道」そのものであるという点である。ウォディントンはこのような発達の自己調整能力を「ホメオレシス(homeorhesis)」と呼び、「ホメオスタシス(恒常性)」という静的な概念とは明確に区別した。
ホメオスタシスが形態の維持を志向するのに対して、ホメオレシスは動的なプロセスそのものの維持を目指す。しかしその変化の幅には限界があり、深い谷を脱するには極めて困難を伴う。つまり、有機体は環境のかく乱に対して適応的な自律性を示すと同時に、構造全体が脅かされたときには極端な不適応性もまた現れるのである。
後成的風景と進化
ウォディントンは、後成的風景そのものが自然選択によって変化しうるという、進化論的に特異な視点を提示した。彼によれば、進化とは個体の表現型が直接子孫に伝わることではなく、ある「平均的な」後成的風景を共有する個体群が変化していくプロセスと捉えるべきである。
後成的風景は複数の軌道を内包しており、環境条件の変化によって、これまで採られなかった軌道が新たに開かれることもある。形態変化、新しい生息地への進出、特殊な行動パターンなどがその例である。こうした軌道をうまく活用できる個体は、より良く適応し、生存と繁殖に成功する。結果として、世代を経るうちに、そうした「好ましい軌道」をもちやすい遺伝的傾向が個体群内に高まっていく。これは、個体群の後成的風景そのものが、環境への適応を通じて変容したことを意味する。
ピアジェとの共鳴と相違
ピアジェの後期の著作には、ウォディントンの理論と驚くほど多くの共鳴点が見られる。それもそのはず、ピアジェはウォディントンの理論から多くを直接的に引用し、自らの理論に取り入れているからである。
両者に共通しているのは、生物学的説明において「相互作用」の重要性を強調する姿勢である。ウォディントン自身も、自らの進化理論がホワイトヘッドの形而上学に強い影響を受けていることを認めており、「この世界に実在するのは“もの”ではなく、“プロセス”である」との思想を共有していると述べている。
調節遺伝子の発見がピアジェにとっていかに重大な意味を持ったかを詳しく扱う予定である。ピアジェは、遺伝子を静的な構造の連なりではなく、「発達全期間を通じて動的に働き続けるプロセス」として捉え、遺伝の本質を再定義している。また、彼は「生きている構造の発達における最大の問題は、いかなる調整メカニズムが働くのかである」と述べている(『生物学と認識』)。
ピアジェは、ウォディントンの進化系モデルを積極的に受け入れ、特にその「四つの下位システム(遺伝子、後成系、環境、自然選択)」がサイバネティックに統合される構造を支持している。これは、ピアジェが独立に構築してきた自己調整的システムへの関心とも深く結びついている。
ピアジェは、軟体動物の行動実験をもとに、進化の半ラマルク的側面を提起した。ウォディントンもこれを高く評価し、「自然条件下における遺伝的同化に関する最も徹底的かつ興味深い研究のひとつ」と述べている。ただし、ウォディントンは二点においてピアジェの立場に批判的である。第一に、ピアジェは自然選択の役割を過小評価し、個体適応の役割を過大に見る傾向がある。第二に、ピアジェは個体群レベルではなく、個体レベルを中心に論じがちである。
遺伝子の能動性と調節機構:ピアジェによる再定義
ピアジェにとって、20世紀半ば以降の遺伝学、とくに調節遺伝子(regulatory genes)の発見は、自身の発達理論に重大な意味をもたらした。彼はもはや、遺伝子を単なる「設計図」としてではなく、自己調整的な発達過程の一部としてとらえるようになる。
ピアジェは、遺伝子の働きを、構造の静的な保存ではなく、発達全体にわたる動的なプロセスとみなした。発生や発達において重要なのは、ある時点で何が形成されるかではなく、どのようなメカニズムでその形成が調整・統御されるかである。
この見方は、ウォディントンが「遺伝子は表現型のプロセス全体に関与する」と述べたこととも重なり、さらにはジャン=バティスト・ラマルクやウィリアム・ベイトソンの進化観にも通じる。ピアジェにとって、生物とは、内的・外的条件の変化に応じて常に自己を調整する一種のサイバネティック・システムであった。
彼はその構造を、以下の四つの要素からなる統合的システムとして捉えた。
遺伝的装置
遺伝子は単なる情報の貯蔵装置ではなく、自己の活動を制御し、表現型形成を動的に調節する能動的な因子とされる。
後成的装置(エピジェネティック・システム)
発達の現場である細胞内の相互作用系であり、特定の構造が形成される「現場」として働く。この装置は、環境との連携においてその方向性を決定されることもある。
環境
単なる外的条件ではなく、有機体の自己調整性に積極的に関与し、意味ある刺激として機能する。環境は決定因ではなく、相互作用の一側面である。
自然選択
ウォディントンが強調したように、個体間の多様性は遺伝的レベルではなく、後成的風景における発達軌道の違いによって生じる。自然選択は、その軌道の中で比較的有利なものを増幅する作用として働く。
このような見取り図においては、遺伝と発達、個体と環境、個体と集団の関係は、それぞれ固定的な因果関係ではなく、相互に自己調整するプロセスの重層的ネットワークとして理解される。
個体と種のあいだ:ピアジェにおける進化の二重構造
ピアジェの理論における重要な特徴のひとつは、発達と進化、すなわち個体と種のあいだの関係に対する彼独自の視点である。彼は、生物進化を「個体の認識構造の発達と、集団としての適応構造の変化」として二重に捉えていた。
このとき、個体の認識的・行動的構造が環境とどのように関係し、どのように構成されるかが焦点となる。個体が発達のなかで獲得する知覚・認識・行動の構造は、そのまま集団における新たな適応の素材ともなる。
たとえば、ある環境において、特定の知覚スキーマや運動スキーマがより適応的に働くとすれば、それを支える神経的・遺伝的傾向が次世代に受け継がれやすくなる。これはいわば、認識構造と適応構造の「選択的共振(selective resonance)」のようなプロセスである。
ピアジェはこれを、やや慎重に「半ラマルク的」進化観と表現している。すなわち、獲得形質がそのまま遺伝するわけではないが、個体の適応行動が環境の中で選択されることによって、遺伝子プールが長期的に変容しうる、という中間的立場である。
